パニック障害経験から得た人生感ブログ

自信がパニック障害を実体験を通して得た人生観や、日常のこと好き勝手書いてます。

パニック障害の始まり。その2

紹介されて扉を開けた病院で、問診などから下された病名は、パニック障害適応障害

 

その日は抗不安薬と安定剤を処方され、週1回通院して様子を見ていこうということになりました。

 

それからというもの、通院のたびに薬の量が増え、薬が増えるにつれ、思考力が鈍りだすようになり、脱力感が徐々に強くなって全身の力が入らなくなっていきました。


とうとう布団から起き上がるのに3時間を要するほどに。

更に血圧は異様な急降下。
上が80まで下がったときは、身の危険を感じました。

 

処方された薬の量を信じて飲み続けましたが、一向に改善せず、どんどん脱力感が強くなり、生気が奪われて行くような感覚まで現れはじめてしまいました。

今思うと僕にはその薬が合っていなかったのだと思います。


医師に状況を訴えかけるも、薬の量を増やされるのみ。
とても不安な日々でした。

 

自分で病気について調べて改善できないかと、パニック障害に関連する本を何冊か購入しましたが、リラックスすることが大事とか、体内時計を戻すことが必要だから日光に浴びるとか、薬はこういう種類があるとか…。

 

自律神経が乱れてるのであろうというのはわかっていましたが、じゃあ、自律神経整えましょうと言われてもどうしたら整うのか…自律神経ってどこにあるのか…どれも自分が求めた答えらしきものは見当たらず。

 

これといって治す為の明確な情報は本には記されていないのです。

相変わらず薬の量は増え続け、自分が弱っていくのだけはハッキリわかりました。


悩みましたが、改善を期待してセカンドオピニオンを求め勝手に転院。
そこで今自分に起きてる状況を話すと、医師からすぐに薬をやめるようにとの指示。

 

薬を一気に抜いてしまうと、離脱症状という症状を伴う可能性があることは、色々な情報を目にして知っていました。


しかし、医師に従うほか自分ではどうすることもできません。

 

結果として、このことが後に自分にとっては良い方向に向かいましたが、
薬を絶った夜、早速離脱症状がやってきました。

 

激しい眩暈と同時に視界がチカチカ…
気持ちがそわそわして落ち着かない、頭の中でシャンシャンシャンシャンと音が鳴っている感覚が止まず、2日間眠れませんでした。

そのころはまだスマートホンやパソコンを所有していなかったため、ガラケーで片っ端からパニック障害のことを検索し、「効果あり!」と書いてあることは手当たり次第すぐに試しました。


微妙な変化だったりするのですが、自分なりに体調改善に繋がったのではないかということが多々ありました。
その微妙な変化の積み重ねが回復に繋がったと実感しています。

 

これから先は自分なりに調べたこと、実際に経験して感じたこと、効果のあったチャレンジ内容などを記載していきますね!

パニック障害のはじまり

今このブログを読んでいただいているということは、パニック障害を患ってしまったご本人、あるいは家族、友人がパニック障害になってしまったという方かなと思います。
まずはこの本を開いていただいたこと、ありがとうございます。

 

僕はパニック障害を患い、数年間に渡り本当に辛い経験をしました。

ありとあらゆる症状が現れ、このまま治らないのではないか、死んでしまうのではないかという、なんとも言いようのない強烈な不安感。
めまい、ふらつき、過呼吸、目の乾き、口の乾き、喉のつまり感、肩こりなど体に現れる症状は多彩。
来る日も来る日も、もがいていました。

そんな辛い経験をしたからこそ、パニック障害を患ってしまった人の苦しみがわかる。

僕の体験と、回復に向けて取り組み、体調が好転する感覚の変化を感じたことなどを伝えることで1人でも苦しんでる人の回復のためのヒントになるなら嬉しいです。

 

ひとまず僕の生い立ちや性格について軽く触れて行きたいと思います。

 

僕は両親と妹の4人家族の中で育ちました。
父親は酒好き、時にお酒にのまれてしまう人で
小さな頃からそんな父の存在にビクビクしていました。

 

僕がまだ小学生だったころ、父は勤めていた会社を辞め、独立することになりました。
初めは順調だったのだと思います。

 

高級料理店に連れて行ってもらったり、高級車に高級腕時計、家賃の高いマンションに引っ越すなど、振り返ればとても羽振りが良かったと記憶しています。


しかし……裕福な生活は長続きしませんでした。


僕が中学校に入学する頃から、父親は毎日泥酔するまでお酒を浴びるようになり、次第に仕事へ行かず、家にいる日が増えていきました。

実はこの時既に父には多額の借金があり、
会社は廃業する事態になっていました。


ある日会社の運転資金を出資してくれたとある企業の社長が家に怒鳴りこみにきました。
親が罵声を浴びている姿をドアの向こうに感じながら妹と2人息を潜めながら過ごした数時間は今でも鮮明に覚えています。


生活のため母が働きはじめます。
その稼ぎすらも無心し、ギャンブルと酒に逃げる始末。


僕が高校入学と同時にとうとう両親は離婚。
子供でもわかるほど生活は大変でした。

 

少しでも家にお金を入れられたらと、高校卒業後、僕は就職を選びました。
少しして仕事にも慣れた頃、どこで調べたのか僕の勤務先まで父親が金をせびりにくるようになりました。

 

一生懸命貯めた貯金全額を渡し、縁を切ると言い放ち別れて依頼、もう20年くらい会ってません。

その後はより一層仕事に集中し、早々に責任者を任せてもらうようになりました。

 

20代の後半で結婚、そしてマイホームを手に入れ、そして第1子誕生。
順調すぎるくらいの毎日でした。

今まで苦労して来たし、少しくらい幸せになっても良いだろうなんて。

ところが突然、「体に何とも言えない症状」が襲いかかります。

 

ある日、いつも通り家から2時間ほどの勤務地の駅に降り立ったとたん、視界が歪むような眩暈を感じ、その場に立っていることができず、ベンチへ座り込んでしまいました。


体感したことのない状況に戸惑いながら、地元の病院へ電話し、症状を告げるとすぐに総合病院に向かうように言われました。

 

眩暈と不快感を感じながら2時間の道のりを引き返しました。
病院へ到着するや脳神経外科へ誘導され、レントゲンを取るものの、症状の要因であろう所見は発見されず。

 

数日後にCTスキャンMRIなどの検査を医師より勧められ、検査結果を待つことに。

検査結果が出るまでの日々、頭がぼーっとしていてどうにもシャキッとしない状態でした。
そんな状態のまま勤務していたためか、日を追うごとに今まで感じたこともない強烈な肩こりと、ドライアイが起きはじめます。


体に何が起きているのか。


とうとう通勤電車で人生初の過呼吸に襲われました。

 

呼吸ができない。

手が痺れてくる。

足に力が入らない。

暑くもないのに汗が噴き出してくるし、止まらない。

急行に乗車していたため、なかなか降りることができません。
ひと駅がとてつもなく長く感じました。

 

フラフラになりながら、どうにか会社に到着するも、足が上がらず…まるで地を這うようにし階段を登りました。

自分のデスクに座っても過呼吸はおさまらず、そして体を起こしていることも辛くなり、デスクで座位を保つこともできず、仕事にならないため、上司に相談しました。

上司はただならぬ様子に驚き、状況を話す僕にただらぬものを感じたのか、

「すぐに1週間の休みを取れ」

 

帰りの電車の中、もう仕事できなくなるんじゃないか…生活費は…と、心にぽっかりと穴が空いたような気持ちになり、胸がいっぱいになりました。

数日後、検査結果を聞きに病院へ。
医師からは
「うーん、ヘルニアといえば首のヘルニアなのかねぇ…。
ここ見て。椎間板がないでしょ?生活習慣を正すしかない。
しかし、これが原因かはわからないよ。なんでこんな検査したの?   」

MRIやレントゲン結果を見ながらぼそっと医師がつぶやきました。

え…?


検査は病院側が進めたことじゃないか…
頼りどころは先生なのにそんな言い方しなくても。。
首のヘルニアだから眩暈するのかぁ…
これからどうしたらいいのだろう。。


なんとなく原因らしきものがわかったので、少し安心したような、でもだからといってどうすればいいのか…
とりあえず這うようにして通勤を再開することにします。

しかし、日常のあらゆる光が眩しく、目が異常に乾くき、パソコンや携帯電話の画面なんて見ていられない状態でした。

次第に再び異常な肩こりが起こりはじめ、眩暈を起こし、マッサージ店に通うことに。
マッサージ中は肩こりやドライアイの症状が良くなったような気がするものの、マッサージが終わると5分と経たず、あっという間に再開するという状態でした。

もはや平衡感覚を失うようにまでなり、布団から起き上がれなくなりました。
ヘルニアでこんなになってしまうものなのか…?
起き上がろうにもその気力すら湧かない。

ヘルニアという診断に対して強く疑問を抱き始めていたので、改めて病院に行き、別の医師に今までの経緯を細かく説明しました。

医師の答えは
「精神的なものが原因の可能性が考えられます。メンタルクリニックで診てもらってはいかがでしょうか」
そういうと、メンタルクリニックの病院を数カ所案内されました。

え…?
メンタルクリニック

 

紹介されて扉を開けた病院で、問診などから下された病名は、パニック障害適応障害


これがパニック障害との闘いの始まりでした。